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English

ウエブスターの英語辞典を持ち帰り

1860年4月4日のサンフランシスコヘラルド紙に次のような記事があります。

One of them astonished a stationer not a little by asking, in excellent English, for a copy of Webster's Dictionary, with the value of which he appeared quite familiar.

日本から咸臨丸でやってきた使節団の一人が、素晴らしい英語でウェブスター英語辞書の価格を尋ね、文房具店の人たちを驚かせたのです。 この人物が通訳として乗船した中浜万次郎であることは疑いがありません。
福沢諭吉と共に辞書を求めたというのもこの時のことでしょう。

この記事では日本使節団が体は小さいものの立派であること。また、今後の日米関係が大切であると、非常に友好的に書かれています。
そして、記事の最後にはMangeroの名前が記載されていているのです。使節団の中で、ただ一人アメリカ側に認知された人物だったと言えるでしょう。

1842年に初めてアメリカを訪れた漂流民の日本人が、今度は大使となって帰ってきたことは、アメリカンドリームとして大きな話題になっていたのでしょう。

残念ながら、福沢諭吉の著作には万次郎の名前は出てきません。ただ、英語を学ぶためなら、子どもでも漂流民でも尋ねるのだ、とあるのみです。あんた、世話になったんじゃないの?と文句の一つも言いたくなるところではあります。

ジョン万かるた「う」

命をつないだアホウ鳥

河田小龍の『漂巽紀略』には、他所での取り調べ記録にない、地震との遭遇が残されています。

四月下旬の頃、一日乍ち地震あり。夜に至り盆強く洞中大に鳴動し……

大小の石が落ちるので外に這い出し、今日こそお終いだとみんなで抱き合った。 そうするうちに地震もおさまり、夜が明けた。
洞窟は大きな石でふさがれていて、みんなは大いに驚いたが、ただただ、自分たちの命運の強さを感じ、
「これは吉兆だ。必ずいいことがあるにちがいない。」 と励まし合い、神仏への祈願を怠らなかった。

この二ヶ月後、過酷な状況の中から、彼らは誰一人欠けることなく生還しました。
アホウ鳥が彼らの命を救ったことは言うまでもありませんが、
体力、精神力、団結力がなくては、この難局を乗り越えることは難しかったことでしょう。
また、どこかのんきな土佐人気質も幸いしたのかもしれません。
何度も落ち込みはしますが、その都度、
「この先、きっといいこともある」
と、励まし合い、乗り切ったのです。
漂着したのは、 1841年2月4日。 救出されたのは 同年6月27日のことでした。

ジョン万かるた「う」

おもしろ英語「掘った芋いじるな!」

実は、掘った芋いじるな!(What time is it now?)という文は、万次郎の著作「英米対話捷径」に含まれていません。
芋の話がどこを出典とするのかはここではおくとして、本書中、一番近いのが下の文です。
それ 今日の 日和は いかがで 御座ろう
ハツタ ワザ イジ イータ ツデイ
What weather is it to day?


timeとnowの単語例は「英米対話捷径」に一度も出てきません。(見落としているかもしれませんが)
what,is,itは、それぞれ、ハツタ、イジ、イータがあてられています。
無理にこじつけると、「ハッタイム イジイータ ナウ」→「掘った芋いじったな!
と、なんとなく、それっぽくなりました。
一つの単語ごとに音をふり、意味を与えるという、日本人の考え方の則した工夫にも、アメリカの文化を日本人に知らせたいという万次郎の願いが込められているように思います。

ジョン万かるた「う」

ケープホーンに大彗星を見る
「シヲウスメリク」(南米利堅)の極南岬「ケープホン」(昏岬)と云處より百里外を經歴す。(中略)此を過、鍼を丑寅に取れり、是時に方り天西に「カメッ」と云へる異星有りて、一線天半に横はるものを見る。(漂巽紀略)

南アメリカのケープホーンから200km航海した。ここを過ぎ、舵を東北にとった。このとき、西の空に「コメット」という怪しい星があり、その星がひく線は、天を横に半分にしたように見えた。
この時万次郎が見た彗星は、1843年に現れたGreat March Comet=三月の大彗星です。
この彗星は日本各地でも観測され、記録が残されています。当時、日本では彗星の尾を白気と言ったようです。

万次郎はハワイで四人の仲間と別れ、アメリカ本国へ向かいました。
南氷洋の大氷山、初めて見るセイウチやアザラシ、大彗星、そして、日々覚えていく新しい言葉。15歳の少年にとって本当に心躍る毎日だったことでしょう。

この年の6月、船は「ヌーベツホー」に着き、万次郎のアメリカでの生活が始まります。

ジョン万かるた「け」

漂流 宇佐を離れて13日
-----------もう一人の通訳-----------
寅右衛門は、帰国する3人と別れ、ただ一人、自らの意志でハワイに残りました。

「三人ノ親族ハ希有ナルコトヽ喜ヒ、残リ留ル者ノ親類ハ愁涙ニ袖ヲ濡シ」
(土佐唐人之記)

(帰国した)三人の親族は、まことに希有なことであると喜び、寅右衛門の親類は涙で袖をぬらした。
残った寅右衛門の親類が悲しむ様子が記されています。

万次郎たちが帰国してからおよそ1年後の1852年末、三河永久丸の漁民がアメリカの捕鯨船に救出され、ホノルルに寄港した時、寅右衛門がアメリカ人の役人の通訳(従僕)としてやってきます。

「官人虎右衛門召し連れて来れり。
 虎右衛門は我土佐国之者にて、萬次郎一同と漂流し、今官人之従僕となりしよし 我等言詞未だ詳に通ぜざる事故、虎右衛門を以て通弁致させんがためなり」
(漂民聞書)

「役人が虎右衛門を連れてやってきた」
虎右衛門は、日本土佐の国の者で、萬次郎たちと漂流し、今、役人の部下となったと言うことである。 私達は言葉がまだ通じないので、虎右衛門に通訳させるためである

彼もまた日本とハワイを結ぶ通訳として活動していました。

ジョン万かるた「ひ」

九歳で 奉公に出て 母を助ける

万次郎は、九歳の時父を亡くしました。

万次郎は、家族の生活を支えるため、中ノ浜の今津家に奉公に出ます。
奉公に出て三年目、彼は、米つきを頼まれた際、石臼の中に小石を混ぜたことが伝えられています。
当然、作業は早く終わりますが、これをとがめられ、今津家をとびだします。
万次郎は隣の大浜浦まで泳ぎ渡り、たまたま来ていた宇佐の舟に乗り込むことを許されます
この後故郷を離れ、その初出航で漂流することになるのです。

ジョン万かるた「ひ」

漁師の子、ついに幕府の通訳者

万次郎は、咸臨丸の通詞として渡米することとなります。
同じ頃、二人の日本人が通訳として来日します。
ジョセフ・ヒコ(彦蔵)とダン・ケッチ(伝吉)です。彼らもまた漂流民でした。
1851年、萬次郎たちが帰国するのと入れ違いのに、播州摂津の栄力丸の乗員がサンフランシスコに着きました。 この中に、彦蔵、伝吉がいたのです。

万次郎が帰国の翌年から旗本直参に取り立てられ、日本の近代化に力を尽くしていた頃、彦蔵と伝吉は海外で帰国の道を探ります。
そして、1859年、彦蔵はアメリカ人として来日を果たすのです。一方、伝吉はイギリス公使オールコックの通訳として来日しました。
この頃、様々な情勢から攘夷熱が高まり、多くの外国人が暗殺される事件が起こりました。こんな中、ダン・ケッチは暗殺され、ジョセフ・ヒコはそれを恐れ、一度は離日することとなります。

ジョン・マンと、ジョセフ・ヒコ、ダン・ケッチを分けたのは、万次郎が、測量、航海という技術を身につけていたことや、帰国の時期と方法に違いがあることに理由が求められるかもしれません。
また、万次郎が注意深く、日本人として振る舞ったのに対し、二人が外国人然として暮らしたことも大きな要因でしょう。
それにしても、三人の通訳が漂流民であるということに、彼らがたどった数奇な運命と、日本漁民たちの底力を感じずにはいられません。

ジョン万かるた「り」

◆ドメイン変更しました
幡多弁方コンバータ「万次郎」公開しました。万次郎の出身地の方言に変換します
簡易幡多弁データベース「アホウドリ」公開しました。
幡多弁辞典「幡日辞書」公開しました。
ジョン万資料室「漂客談奇」追加中

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