フィッチセルに再び見え、伝蔵、五右衛門、寅右衛門と別れ帰朝す

九月下旬、ウィットフィールド船長(フィッチセル)がこの地に来た。
伝蔵らが、今はコーラウにいると聞いたので、この村を尋ね、旧識のあるハリケヤ寺を訪ねてきた。この日はションレイがあって、その席で五右衛門が船長と対面した。互いの元気であることを祝いあい、重助が死亡し、筆之丞が伝蔵と名を変えたことなど、日々の暮らしを語った。

五右衛門が伝蔵を伴って、ハリケヤにやってくると、ウィットフィールド船長は大いに喜んで、重助のことを悼み、万次郎が元気であることを述べた。

ウィットフィールドは、彼らがこの海辺に仮住まいをしていると聞き、
「まことに絶景であるそうだから、私も訪ねてみたい。」
と、ハレカと供に寺を出た。
伝蔵は先に帰り、家を掃除し、塩漬けの類を並べ、腰掛けを置いているうちに、彼らが来た。

みなで腰をかけ、
「うらやましい家だ。家がよくて土地に似合わぬ。」
などと冗談を言いあった。
彼は大きな銀貨を二枚だし、兄弟にこれをくださった。
「なお渡したいものもあるから、機会があるなら五右衛門は仕事を休んで、一、二日ソオハッホーへ来てほしい」
と言って帰った。

翌日、五右衛門は急いでソオハッホーに行き、ウィットフィールドの船を訪れ、昔の恩の礼を述べた。
ウィットフィールドが言うには、
「あなたたちは思いがけず数千里の外に漂泊して、ここで暮らしている。だから、一日もはやく本国へ帰そうと思うけれども、便宜がなく、未だその志を果たすことが出来ない。今ここに、日本海上へ航海する船がある。これに頼んであなた方を送り返そうと思う。あなたたちが本当に帰る気があるなら、急いで支度をし、船に来て、ここで寄食すればよい。」
そして、外套五枚、袴五枚、白い布二反、煙草、草履など様々にもらった。五右衛門は礼を言ってこれを持ち帰り、ウィットフィールドの言葉を伝蔵に語った。

二人は、共にその厚情に感涙した。それから、受領した土地で作った芋などは、前の持ち主や世話になった所に分け、小屋はそのままにして、人々に別れを告げた。
ハレカの所に行き、百千の恩の礼を述べ、別れを告げると、彼から、外套を二枚、手帳一冊を餞別として頂いた。
五右衛門と共にこれを拝んだ。

飼っていた鳥四羽、鶏六羽、軍鶏二羽、豚二匹に鍬二丁を携え、十月上旬にコーラウを離れ、ホノルルに至った。ダッタチョーヂにも別れを告げ、ウィットフィールドの船に乗り、彼らが持ってきたものはウィットフィールドの船に贈った。

しかし、ウィットフィールドは寅右衛門のことを言わないので、ある時、伝蔵はウィットフィールドに向かって、
「あなたはこのことを寅右衛門に連絡してくださったろうか。」
と尋ねたところ、ウィットフィールドは首を振りながら、
「彼は私に親しくしようとしない。私は彼のために心配りをするつもりはない。」
と言う。

伝蔵は大いに驚いて、
「彼は、元々、私の家の隣人で、私が雇った者です。だからこそ遭難したのです。このまま捨て置いていっては、帰国の後、彼の親類にかける言葉もありません。あなたが彼を見捨てるとも、お願いだから我ら兄弟のために許して頂けませんか。」
と揉み手をしながら頼んだ。ウィットフィールドが言うには、
「既に二人であると言って託したことであるから、今また一人を加えることは難しいだろう。ただ、他に大きな船が日本近海へ渡ると聞いたので、一度、寅右衛門に相談してから答えるとよい。」
と、許諾の返事があった。

寅右衛門にこのことを知らせ、速やかに用意をさせた。すでにほとんどの事は終わったも同然であるから、寅右衛門もウィットフィールドに別れを告げ、もう会うことがないことを互いに惜しみ、やがて、各々が船に上がった。

伝蔵、五右衛門、乗るのはユナイテッドステーツアメリカの捕鯨船でフライデン(フロリダ)と言い、船長はキャンプンゴーコシ(キャプテンコックス)という。
程なく出港という間際になって、寅右衛門は船首にたち、伝蔵兄弟をさしまねいて、
「私はまた上陸するぞ。あなたたちは無事に帰るように。」
と大声を出した。

伝蔵はこれを聞いて、何が起きたのかと、聞いてみると、
「この船は古く安心できない。だから私は帰国をしない。」
と言う。伝蔵は百万回繰り返したと言える程に寅右衛門を諭すが、どうしても聞かない。更に諫めようとする時、ともづなを解くと促され、ついに寅右衛門に別れて船に帰った。
船は程なく帆を開いた。(寅右衛門が乗る予定だった船は、この時日本に渡り、相模の浦賀へ着いたと伝わり聞いた)

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