筆之丞、善助に会い、土佐漁民大いにかつをを釣る
天保十三年(1842)「ナアホー」の五月、日本の国、摂津兵庫、年齢は二十一、二歳の善助という人が、かしきを一名連れ、筆之丞を尋ねてきた。 |
西宮永住丸、善助、初太郎は長崎に帰国した |
伝蔵が思うには、 「この便で善助と帰朝できるなら、これが一番よい。」 そこで、善助の言うままに官署へ願い出た。官吏は短い手紙を書いてくれ、船舶に問い合わせてくれたが、船長はこれを許諾しなかった。 善助は、気の毒なことであると、思い通りにならない気持ちに任せて、 「残り八人は、なお、イシバニシにおり、もしその地に行くことがあれば、哀れみをもってやってくだされ。」 と供に別れを惜しんだ。 |
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伝蔵達は思い立った願いが叶わず、善助に別れた後は、ただ、もう何をすることもなく、遊びに行くくらいのものであった。 ある時、なぐさめに、小さな漁船に土地の人、七、八名と一緒に近海に出た。 日本で使ったときのような長い竿を使って鰹などを釣り、思ったよりたくさん釣れたので、市場にこれを売ったところ、オアボーの人たちは、伝蔵達が一本の竿を以てたくさんの魚を釣ることに感嘆した。 |
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