四人ソーハッホーに落ち着き、筆之丞、名を伝蔵と改める
川田維鶴撰
傳蔵兄弟苦労し帰朝の計画を図る
天保十二年辛丑(1841)、筆之丞らはオアフ島からソーハッホーに来て様々なことを見聞した。
島は周囲七十余里程で、浦が五十ほどある。港をソーハッホーと名付け、ヨーロッパ、アメリカなどの船が碇を下ろし、天候待ちをするところである。
この首府は港にあり、ホノルルという。ここ二、三年来、、アメリカのカリフォルニア金山が開けてからというもの、ますます、この港は要所となり、往来する船でここに泊まらないものはない。だから、西洋、中国の様々な国から新しい貨幣、織物を集めた店が開かれ、一年ごとに次第に賑わいをまし、今は戸数はおよそ二千戸にあまるほどとなった。
府内には王キユカケオリョーの城塞がある。堅固に造営され、広大な楼閣が設けられ、その一階を遙かに望めばまさに広大で、数百人が入ることが出来るほどである。
城塞の外には、官僚ツワナハツ、カナイナたちの家、及び、フランスから往来する人たちの城がある。ここの造りもまた素晴らしいもので、中に石の覆いの高楼を造り、窓はガラスをはめ、その瀟洒なことは比べるものがない。
南のほとりには首府に次ぐ所があり、マカイと言う。(淀という意味である)
人家は千戸ほど、道々に魚市場がある。
ポレンハの繁華な様は首府ホノルルに劣らない。
ここは赤道に近いといっても、気候は甚だ炎熱というわけでもない。普段は日本の三、四月のころのようで、寒い暑いはことのほか気をつけなければ気がつくことがない。
だから、土地の人で異国に行き来しないものは、霜や雪があることを知らない。
雷鳴は希に遠くの方で鳴るのを聞くだけである。風は平常は北東であり、たまたま他から吹くことがあれば、たちまち雨になり、また、いくらもしないうちに東南から吹くことがあれば、必ず晴れる。
ここの人達は顔の色は黄褐色であり、体は大きく、まなじりが下がり(土人が五右衛門に戯れに、日本や中国の人たちのまなじりはこのように切れていると、手で逆に引き上げ笑ったので、五右衛門はこの国の人の顔を真似、まなじりを引き下げるなどしたという)
毛髪は暗黒で、男は後ろで切り、女は頭頂で束ね、好んで化粧をするが、顔には白粉を塗ることはない。元からの肌つやは圧倒される程だ。言葉は米語を元にしているが、自然に島のなまりの卑しい言葉が多く、人柄は謙虚で情に厚く、節義があることを尊ぶ。
お金はアメリカ合衆国の金貨、銀貨、銅貨などを用いている。
常食は牛、豚、蒸し餅の他、地産の芋類を餅のように作り、皆これを金属の椀に入れ、匙でとって、匙がないものは指でつまみ、これを食べている。
他にはタバコをたしなみ、これを吸っている。また口に入れ、これを服すのである。
酒を賤しいと思うことは汚辱を厭うほどでである。木の皮を噛んだ汁から作った酒で酩酊する者がおり、酒を好きな者もいる。
衣類は、ハロレ、ハツヱロンなどを着る。
家屋は石瓦と石垣、木造、藁などで作られており、木造のものは青、赤など様々な色を壁や床に施し、上に布を敷き、椅子に座って生活している。
筆之丞らはここに逗留してすでに数ヶ月すぎたが、外国人らは音声が異なるためであろうか、彼らがフデノジョーと言う名を呼ぶことが出来ないので、筆之丞はその叔父の名をもらい、名を改めて伝蔵と通称した。
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