一行オアホーに至り、万次郎ただ一人メリケに渡る

さて、筆之丞は思いも寄らない助命を得て、ただ夢のように考えながら巨船に近づき、これを見上げると、その長さは三十間(55m)、幅六間(7m)、帆柱は三本、ボートを八艘備え、縦横に蜘蛛の巣のようにロープを張っている。白い帆がことごとく張られており、海風に翻るのである。なんとも山を仰ぐような大きな姿である。

それから、みんなは外国人に助けられて船上にあがった。船内を見ると、厨子のような華麗を極めた居室があり、船長以下みんなこの上に列席し、その様の荘厳でりりしいことは近づくことがためらわれるほどであった。

船長は筆之丞を近くに呼び、何か言うのであるが、ただどこの国の者であるかと問うのであろうと思い、
「私達は日本人である」
と答えると、飢え凍えているのを哀れんで、衣装を五枚くれ、皆でこれを分けて着るように手振りで見せてくれた。

この時、炊事当番が芋の蒸したものをもってきたが、船長は、
「この五人は長い間島で飢えており、急にたくさん食べるとよくない」
ということを考えてくれたのだろうか、炊事当番を大いに叱って、我々が持っていたものを奪い取り、豚肉などを少しだけくれ、またスープを一杯飲ませてくれた。
それ以後、おいおいと食べ物をくれ、翌晩には「アレーテ」という餅を食べさせてくれた。
昼飯は船員はみな他のものを食べる様子なのに、我ら五名が日本人であることを知ってか、米飯の美味なものを食べさせてくれ、一同これを食べた。

この大きな船はノースアメリカのユナイテッドステーツ国、ニューベッドフォードの捕鯨船で、油樽六千、牛豚数匹、雑穀及び大きな石櫃が二つある。銃三十丁を載せ、乗員三十四名をもって航行している。船名はジョン・アンド・ジェームスハウランドと言い、船長はウィリアム・ウィットフィールドという。ニューベッドフォードの隣、フェアへーブンの人である。年は四十歳前後、肌は白く、髪は黒くこれを頭の後ろでくくり、口ひげは剃っており、「パルレ」という上着を着て、「ツラロシ」(オアホーではハツヱルーと呼ぶ)という袴をはき、その体は様子がよく、身長は五尺あまり、まことに貴人の風格であった。

筆之丞らは、このように外国人に助けられ、またこれからどうなることか計りがたいが、命さえあれば、帰国する工夫もあるだろうと、互いに安堵した。

その日も過ぎ翌日となり、船長は万次郎をボートに乗せ、島の方へ行かせようとすると、万次郎は再び島に帰されるかと恐れ泣き叫んだ。船長は、衣服の類があれば、とってくるようにと手振りをするので、ようやくそれが分かり、頷きながら洞窟に入り、急いで当座のものを取って帰ってきた。

船はこの島を離れ、北に向かい、日本東海から鯨を追って東南の海に出て、六ヶ月の間に鯨を十五、六頭捕獲した。

筆之丞たちが捕鯨の方法をよく見ていると、鯨を発見するには、帆柱の見張り台に昇り、遠く遙かな海を望遠鏡で探し、鯨を発見するとこれを下の者に知らせる。すると、たちまちボート四艘をおろし、ボートごとに捕手一人、舵取り一人、漕ぎ手四人が乗る。舵取りは舵を握り、水夫は櫂を漕ぎ、飛ぶように鯨に近づくと、捕手は鯨の背の急所目がけて銛を打つ。

しかし、鯨の性質は一様ではなく、あるものは直下にもぐり、あるものは波を立てて走る。皆はそれを見て予測し、先に手前で待ち伏せている。銛が急所を射貫くと鯨は死に、外して暴れるものにはまた銛をうち、槍で頭を突くと、ようやく死ぬ。

それから尾を本船につないで、頭を切り、船のろくろに引っかけて船の中に引き上げ、一人が船を下り、皮を穿ち、綱を通し、船の上から長く大きい刃物で皮を剥ぎ、ろくろで網を巻き、皮を船の中に引き上げる。肉は海に捨て落として顧みない。
船上には大きなかなえを設け、頭、皮、尾を小さく切り分け、油を煎じだし、それを薪や炭として用い、他には何も使うことはない

十一月頃だったろうか、ハワイのオアフ島の港に入り、船は三十日ばかり、ウィットフィールド船長に連れられ上陸し、ダッタチョーヂを訪問した。船長は、
「縁があってこの人たちを助けてきた。」
と、この度の件を演説する様子であった。
ヂョーヂは筆之丞達にむかって、
「合掌、礼拝などをする国か。」
と問うた。

また、一朱銀二十枚、二朱銀一枚、寛永通宝一枚、および、日本製の煙管一本を出し、これらの品を産する国であろうと手振りをするので、筆之丞は、うなずいた。
「この金は八、九年前※1大阪の人が漂流してきて、船頭は死亡し、他の人はハリリョーという人の所でアメリカ船に預け、中国から日本に帰った。その人達が残したものである。あなたたちも今日、船長により、私どもにあなた方を介抱するように伺った」
と、繰り返し繰り返し、身振り手振りで話した。

このダッタチョーヂはアメリカの人で、この地に来て医療を生業とし、妻はヲヒネ、娘キナウの他、召使いをおよそ五名使っている。

そこから役所に着いた。役人の名はツハナハワという人が来た。案件所で遭難のあらましを聞かれ、そこから五軒東で、ツハナハワの部下カウカハワという人の家で泊まった。
カウカハワの弟はチョチョと言う。(後でアトワイの長官となった)カウカハワは、温柔で、人に接するに愛情があり、この人困ったことはただ一つもなかった

筆之丞達も住まいが定まったので、ウィットフィールド船長は衣服を十枚ほど作らせ、五十セントを恵んでくれた。船上でも上着を五枚頂いた。また船長が来て筆之丞に対し、
「みんな、今のように落ち着いた上は、安心して暮らせばよい。万次郎は預かり、アメリカに連れて行き養育しようと思う。お願いだから、この子を私に預けて欲しい。私は必ずこの子を大切に扱う。」
と言う。
筆之丞が思うには、
「この異国に遠く漂白し、さらにバラバラにならなければならないことは意には沿わないが、命の恩人であるウィットフィールド船長の申し出であり、ことに、この人は愛情が篤い人である。この度の要請も、また、愛情によるところであるから、どうするかは万次郎の心得次第であり、この子が思うようにすればよい。」
と許した。船長は大いに喜んで、万次郎を連れ船に帰って行った。
※1尾張小野浦宝順丸.
ニッポン音吉 彼らは帰郷できなかった。


巻の一終わり

前へ次へ

ウエルカムジョン万の会>万次郎資料室>漂巽紀略3