五人鳥島に過ごすこと143日、ついに異国船に助けられる
それから歩くに任せ、島の形を巡り見ると、周囲は一里ほどの、岩で出来た大石山であった。グミ、カヤ、イバラの類が生えていて、その他の木々も全て細く小さく、高さが五尺を超えるものはない。
何か食べられるものがあろうかと話しあった。食べられそうなイタドリの新芽があったが、絶壁の岩にあって、これをとる方法がない。 ここを過ぎて、西南の方に向かうと、大小の鳥がたくさんいて、「トークロー」という鳥が巣穴を作り、雛を養っていた。その数は夥しく、二千羽はいるであろう。 その傍らに一つの洞窟を見つけたので、皆で這いながら中に入ると、高さが九尺程、幅一丈五尺四方の広いところがあった。 皆で、 「先に見た鳥を食べ、ここで雨露をしのぎ、どうか一日でも生き続けよう。」 と話し合った。 波のために打ち上げられた船板を数枚敷き並べて、ここを寝床とし、皆で杖を携え、巣穴のトークローをつかまえ、釣り針で皮を剥ぎ、石で肉をおろし、日光がよく射すところの岩に置いて乾燥させ、これを石焼きと呼んで分けて食べた。 こうして月日を送ること百数日になっただろうか。 その中で、雨が六、七十日間も降らないことがあり、岩の間にも一滴の水がなく、今はどうすることもできなくて、各々小便を手に受けてこれを飲んだが、口から飲むものが少ないのであるから、とても足りるものではなかった。みんな、これに苦しんだ。 ある日、筆之丞は万次郎を連れ、水をすくい、食べ物を拾おうと、険しい岩を登り、その頂上に至ると、そこには広々した草原があった。 よく見ると、石を築いた所があり、また古い井戸があって、そこには濁った水が少したまってた。 傍に墓と見えるものを二つあった。 そこで、思ったことは、昔、流れ着いた人がいて、ここで死んだのを埋めたに違いないということであった。自分たちの境遇を思い、念仏を唱え、つい涙で袖をぬらした。また崖を降り、洞窟に帰って皆にこのことを話すと、我々も餓死することになれば、後から漂着した人がその墓を見て、また涙を流すこともあるだろうと話し、またみんなで涙を流した。 四月下旬の頃、地震があった。夜になり、ますます、洞窟の中は音も大きくなり、激しく揺れ、石や礫が落ちかかるので逃げ出ようとするが、入り口に崩れ落ちてくる石が多く、それもできない。 「今はもう死ぬときが来たのだ。」 とみんなで抱き合った。 そうしている内に地震はおさまり、夜も明けた。洞門を見ると、大きな石が入り口をふさいでいるのことに驚いた。 そして、自分たちの天命が強いことをそれぞれに祝いあい、皆で、 「このように神様の哀れみを受けることは、今後必ず吉兆をえるだろう。」 と、神様への祈りを怠ることはなかった。 六月上旬、三日月がでるころのこと、五右衛門が夜明けに目が覚めて、再び眠ることができなかったので、夜明けの広い海面を眺めていると、東南の方に小さなものがあった。山であろうか、雲であろうかと気をつけてみていると、少し動いている。これはきっと船にちがいないと、四人を呼び起こして言うには、 「三月くらいのことであったろうか、早起きして外国船らしいものが東から北へ行くのを見た。今、それと同じようなものも、また、以前に見たものと同じもののようである。 これは絶対帆船である。」 四人は頭を打ち振るってそれを信じた。 ようやく四里ほど近寄ってきた。それが非常に大きな異国船であることが分かり、今、まさに運命が巡ってきたのだと言い、勇み立った。五右衛門の視力に感じ入った。 そうしているうちに船は北西の方向に行きすぎてしまった。 この島は遙かに隔たっているのであるから手招きも出来ず、寅右衛門らは力を落とし、泣きながら洞窟に帰ってきて、ただもう嘆息するだけであった 我々は喉の渇きと飢えにだけ苦しんだのではない。鳥は雛に翼が生えるのを待って飛び去り、鳥を剥いだ釣り鉤も今は失った。更に漁具とするものも一つもない。海草を採り、貝を拾い、僅かに飢えをしのぐだけであった。 この時、万次郎は磯辺で貝を拾っていたが、あの船からボートが二艘、それぞれ帆を二枚開いてこの島を目がけて走り寄るのを見て、声を上げて 「船が来た。」 と叫んだ。 これを聞いて、寅右衛門、五右衛門の二人が走り出て、帆桁の折れたものに五右衛門の服をくくり、これを立てて合図をすると、ボートからも帽子を振って合図を返してきた。 程なく間近まで漕ぎ寄ってきた。船ごとに、髪が長くぼうぼうに伸びた人が六人、中には縮れ毛の黒人もいた。 (この船は始めから助けに来たのではなかった。この島に魚が多くそれをとるために来たのである。予想外に人が叫ぶのを聞いて近寄ってきたと言うことである) この人たちは寅右衛門たち三人を見て、身振り手振りで助けようと言っていた。皆はそれを怖くは思ったが、服を脱いで、そのボートに泳ぎ渡ると、彼らは三名の他にもう人はいないのか、と聞くので、穴の方を指し、 「なお二人そこにいる。」 と答えると、ボートの黒人が洞窟の方に走っていった。 重助は上陸の時怪我をし、足がまだ治らないので、一日洞窟に伏せっており、拾い集めた様々なものをもらって暮らしていた。この頃には筆之丞も飢えと疲れで歩くこともままならなくなくなっていたので、重助の看病をしていた。 彼らは助け船が来たと、磯辺に向かって出ようとしたが、どうなっているだろうと思っているうち、炭を塗ったような黒人が二人、入り口に立って何か言うけれども言葉は通じない。 しばらくして、彼らは筆之丞を抱きかかえようとした。筆之丞は肝をつぶし逃れようとするけれども放してくれなかった。 そのうち一人が身振り手振りで、残りの三名を自分たちのボートに助け上げたと伝えた。 重助も介抱され、這いながら洞窟からでて、ボートから投げられたロープにくくられて泳ぎ、ようやくボートに乗った。ボートはすぐに巨船に漕ぎ寄った。 |
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