筆之丞ら五人宇佐を出帆し、布沖で嵐に遭う
小梁子曰く、 我が日本は世界の中の一つの島である。 開闢以来、仁政徳治にして、百穀が実る豊饒な地であり、海外に比べるものがない それゆえ、疾風により漂流し、海外に流された者でも、国を慕わない者はなく、みな帰朝することである。 日本の漂流民伝蔵たちは、天保辛丑年に無人島に至り、その後北アメリカ等に暮らした。日夜労苦して帰朝を計ること十数年、ここに今嘉永壬子、遂にその志を得た。 この国でなければ、これほど国を慕う者は見られないであろう。 我が皇国の美談である 天保十二年丑年正月(1841)、土佐高岡郡宇佐浦浜の、筆之丞(三十八歳)、弟重助(二十五歳)、五右衛門(十六歳)、筆之丞の隣人、寅右衛門(二十六歳)幡多郡中ノ浜の人万次郎(十五歳)は漁をするために、宇佐浦の徳右衛門という人の持つ、長さ四間(7m)程の小舟を借り、米を二斗五升、薪や水を積み込んで、正月五日、午前十時、宇佐浦の埠頭で帆を開いて、西に向かって出航し、多くの僚船と興津の西懸に停泊した。 六日には、佐賀浦の沖十五里ほどの、縄場洋という場所で小魚十四、五ひきを釣り、井の岬白浜に停泊、先ほど釣り上げた魚で晩飯を食べた。 七日は朝早くから西風に任せて窪津沖から足摺沖五里程の所に向かった。 僚船は「ハジカリ」洋というところにある「シ」という漁場に向かった。その漁場は海底に一筋数十里におよぶ溝があり、魚が多いことはここが最高である。 皆がここに向かっていくのだが、筆之丞の船は若年の者もおり、漕ぎ手が揃わないので、そこに行くことは止め、十数里ほど離れたところに延縄を仕掛け、アジを多数釣った。 午前十一時頃になって西風になり、雲が非常に速くなったため、僚船は急に帆を開いて、布岬の方に逃げ始めた。筆之丞も漁具を引き上げ、その方に向けて七、八里ほど進んだ。正午になると風が止まり、雲も止まり、波も収まった。 そこで漁具を出して再び延縄を仕掛けた。少しして風が激しく吹き、周りが恐ろしい程の様子になったので、延縄を引き上げ、皆で必死に力を合わせて陸を目がけて漕ぎ寄ったが、日はすでに暮れ、汐煙が立ち、視界がきかず、北東の風が吹いてきて、このままでは片側からの波が船を転覆させることは間違いがなかった。 この時、櫓を外し、在り合わせの斧で船張りを彫って、縄でこれを縛ろうとするうちに、櫓は半ばから折れ、客櫓は海へ流れ失せ、もうどうすることも出来なくなり、力は尽き、体は疲れ果て、呆然とするしかなかった。 筆之丞は桁を立て、隅帆を開いて、波を船首に受けるようにして、風に船を任せるようにした。 風の勢いはますます激しくなり、寒さも加わり、みんなは凍えた。筆之丞は一人舵を握るが、船は東南に流され、その速いことは矢のようであった。 八日夜、既に明るくなり始め、室戸岬の民家が見えるあたりまで漂ってきた。 この辺りは捕鯨の場なので、山を見ると言って山頂に小屋を造り、鯨が来るのを見張っている人がいるから、助け船が来るかもしれないと期待したが、船は来ない。 昨夜の騒動で櫓はなくなり、陸に近づく工夫もない。そうこうしているうちに室戸岬を通り過ぎ、紀州の山をチラッと見ながら、海洋を遠く流されていった。 ただ風浪の動くのに任せ、一同は他にすることもなく、ただ神仏の加護を祈るだけであった。 九日北西から風が吹き、十日は風は早くから北東に転じた。 雨が降ったので、小枝を割き、板を割って粥を炊き、魚と併せて食べた。しばらくして、雨や雪が降り、これを受けて喉の渇きを消した。 西の風になっており、西北西に流れる急流があった。船はこの流れに乗り、奔走した。 十一日、十二日もこの風はやまなかった。 十三日の正午、南東の方角に一つの小さな島のようなものを見つけた。この時、また食事をとった。 一同は飢渇に耐え難く、 「今、前方にあるのが島ならば、上陸して水を飲み、この身を海に投げて死んでもかまわない」 と言い合い、島に漕ぎ寄せることとした。 みんな起き上がり、舟の桁を外して櫂にして、隅帆を開いて、西北西に眞艫を向け、その島影を目がけて走るが、風は西から、潮は東から来て、船はこれに逆らって進むので、ほとんど沈もうとするほどであった。 日暮れになる頃、初めて島の北に着いたが、岩は林のようにそそり立ち、この場所から近づくことは出来ない。縄で壊れた櫓を縛り、島の周りを漕ぎ回り、一カ所平坦なところを見つけた。その磯から二丁(200m)ほど沖で碇を下ろして停泊した。 風もややおさまり、皆艫に集まり、夜が明けるのを待った。魚を釣って、水を掬って、食事をとった。 十四日、夜明け、魚がとても多く、少しの間に「アカバ」という磯魚を数匹釣り、みんなでこれを食べおわったときは、もう昼前であった。 皆で、今こそ、命をなげうつときが来たと、言い合い、碇を切り離し、船を磯に乗り上げた。 寅右衛門、五右衛門、万次郎は先に海に飛び込み、筆之丞、重助がこれに続こうとした隙に、船はあっという間に転覆し、筆之丞と重助はその下になり、そのままおぼれそうになったところ、またも、崩れ落ちてきた波に舟は再び起き上がり、その隙に二人は泳ぎ脱した。 岩に上がって後ろを見ると、舟は微塵に砕け散り、板が波間に散乱していた。 この時重助は足を折り、その痛みで目もくらむ程であったが、寅右衛門たちが既に上陸し、大きな声で二人を呼ぶので、これで気力を取り戻し、ようやくのことで上陸した。 |
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