三人、薩摩を発ち、長崎に向かう
川船で行くこと十三里。京泊というところについた(川内市京泊) 紋を染めた紫の絹幕を垂れた※1勢騎船に乗り、西北に走り、二十九日に長崎港に到着、十月三日頃、上陸し、官舎へ上がり、庭に召し出され、漂流の大略の詮議があった。 九寸ほどの真鍮板に人がたを彫ったものを出してきて、 「三人みなこれを踏め」 というので、命令通り踏み終わると、責任者、牧志摩候に拝謁した。 佐倉街上がり屋に牢を置かれたが、その後、官庭に召し出され、持って帰った器械数十品の内、万次郎が持って帰った万国地図から始まり、海外に留まったこと、できごとなど逐一詮議が終わり、上がり屋で※2三日の閉門の罰を与えられた。 罰が終わった後は日本風の容貌にしてよいという免許があって、ようやく頭髪を剃った。 この頃、かつてオアフで面識のあった紀伊の寅吉以下五人が、中国から護送されて上がり屋に来た。互いにつつがなく帰朝し、また奇遇があったことに驚き、また幸運を祝し、外国にいた頃の憂いを語り合った。 |
※1藩政時代に用いられた軍船 ※2閉門は僧や武士に科せられる刑罰。昼夜出入りを禁止されるが、三日という短さからも形式的なものといえる |
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