万次郎等、琉球を発ち、薩摩に向かう

七月十一日、薩摩の役人七名が、槍二本を従えて騎馬でやってきた。

三人を那覇におくるので、一同準備をするようにと告げられた。

新しい衣を着て、肩輿にのると、村民の中で面識のある人達が涙を流して別れを惜しんでくれた。

黄昏時に那覇の埠頭について、薩摩の官船に乗ると、七名の役人もこれに乗って、三人を見張った。

ボート及び装備もこの船に積んで天候を待ち、ここに数日留まった。

同月十八日、天候は晴れ風は順風、那覇を出航し、薩摩の方に走ること数日、七月に薩摩の山川の港に入り、八月一日小舟二艘に分乗し、夜間鹿児州の湾に至った。上陸し西田街下会所というところに置かれた。

警護が来て見張っていたが、薩摩候からの命令があったということで、
「食事及び百端に至るまで皆漂民に丁寧に応ずべし」
という命令があった

日々、酒を置き、賓客のように扱われ、飽食した。
その後、薩摩候の命令で衣服一式、金一両を三人にくださった。
九月十八日、幕府に上聞した結果、長崎に送るという命令があり、鹿児島を発した。
槍持ちの役人数名、随う従者五名の警護で、ボート、装備は人夫に運ばせ、徒歩で二十二日、向田(鹿児島県川内市向田)についた。

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