三人、摩文仁の地に上がり、泡盛を飲む

伝蔵と万次郎は舵を取り、五右衛門は櫂を漕ぎ、船長に指示された方角へ向かった。風波が狂奔し、船はこれに高く持ち上げられた。
伝蔵、五右衛門は驚き、とりわけ五右衛門の恐怖は甚だしく、
「また漂流するのではないか、どうすればよいのか。」
としきりに伝蔵を呼び、泣きわめき、櫂も保つことができないほどであった。

万次郎はこれを叱って、帆を巻き、櫂を奪い、無二無三に櫂を漕ぎ、ようやく湾の入り口に至った。
この間に本船は、はや北西の方向に遙か遠くに去っていき、たちまちの間に見えなくなった。

程なく、日もすでに落ち、磯から約一里のところに停泊した。
翌三日、五右衛門は人が磯に来るのを見つけ、二人を呼び起こしてよく見た。
伝蔵は、二、三日眠れなかったので、目が疲れて明らかではないが、釣り竿を持った人が三、四人ほどいる。
伝蔵は船を下り、彼らの方に近づくと、彼らは伝蔵を見て大いに驚いて逃げ去った。しかし、そのうちの一人が帰ってきて、なにやら言っているので、走り寄って会話をしようと言葉をかけるが通じない。

伝蔵は船の辺りに戻ってきて、
「この地は言葉が通じないところだ。」
と声を上げた。
伝蔵は顔をしかめていたが、少しして思いかえしように、
「人がいることだから家もあるだろう。行って尋ねるのがよい。」
と万次郎を連れて引き返した。家を探しにいくと、また四、五人やってきたので、伝蔵は近づいて、
「ここはなんと言うところか」
と尋ねると、中に一人、若干通じる人がいた。日本の言葉で、
「琉球国摩文仁(マフニマジリ)と言うところだ。」
という。
「人家があるか。」
と問うと、
「ここから二丁ほど行くと、三十戸ほどある。」
と答えた。
また
「あなた達はどこの国の人で、なぜそのような容貌であるのか。」
と尋ねたので、まず、日本から出港して、漂流して異国にくらしていたことなどを簡単に話した。
彼らは理解したようで、伝蔵が疲れているのを哀れんで、かつ、伝蔵の肩をなで、
「私達が見つけたことなので、あなた達の身の上はこれを考えてみよう。必ずうまくいくようやってみる。一丁ばかり北へ移動すると、埠頭がある。」
と教えてくれて帰って行った。
ここで、船は磯を離れ一丁ほど移動した。伝蔵は今の人達に別れ、また船に乗り、茶でも煎じて空腹を潤そうと、五右衛門、万次郎に本船から贈られたとっくりを渡し、水をくみに行かせた。そのとき、土地の人が群がり来たので、水が欲しいと仕草で示すと、彼等はガラス瓶を奪い取り、人家が四、五軒あるところへ持って行って、水をすくって、さつまいも、甘藷などをやかんへ入れ、それをくれた。
このとき家々からみんなが出てきた。
姿形が異形であることを怪しんでいるのか、みな勝手にジロジロ見る。
先に憐れみをかけて人達が官に訴えたのであろう、さらに人が集まってきた。
「私達は役所の指揮を持ってきた、だから、船や荷物を全てこちらに任せて欲しい」
と、おのおの船を浜へ引き上げ、船具をあわせて役所に送り、また、三人に早く役所にくるようにというのでこれにしたがった。
すぐに役所に行くと、蒸し芋など少しの食べ物をもらい、日本から漂流した件を一通り話した。
ここから三里程離れたこの国の那覇というところへ送るというので、三人は理解して午後四時頃からそこに向かった。
雨上がりであり、道は泥濘で滑るので、伝蔵は脚が痛み、五右衛門、万次郎も大いに疲れて、歩みは甚だしくのろく、まだ数里も行かない内に日は暮れ、灯りをつけて三度油を差したころ、那覇へ四丁ほどのところに着いた。
那覇からの飛脚が翁長村まで引き返すよう言ってきたので引き返すが、歩くのが苦しく、松際の四つ辻に筵を敷き、粥を食べて一睡した。その間に竹籠がきたので、三人はこれにのって、ここから南西に行き、翁長村に着いた。

農夫と見える男の家に入った。主人の名はペイチンと言う。まだ座も決まらぬうちに次の指揮が来て、私に随って来なさいというので、それについてこの家から戌亥の方に向かい、二丁ばかり行き、ペイチンなどの頭であろう人の家に着くと、役人が四、五人来て、漂流の一件を詮議した。それが大方終わった頃は、はや夜は明けそうであり、鳥の声がきこえたので、ペイチンの家に帰った。

四日は早くから前日の家に呼ばれた。薩摩からの役人が槍持ちをしたがえてやってきた。

漂流のことについて審議があった。持って帰ったボート及び装備の緒品も悉く調べ終わり、また、ペイチンの家に帰った。
以後、ペイチンの家が宿舎となった。
ペイチンは前隣に小屋を築いて、妻とシグワア、ウシグワアという女の子たち八人を連れ、ここに移り住んだ

この地はさつまいもなどを終年栽培し、また芭蕉を作り、婦女は芭蕉布を編む。しかし芭蕉の実は食べない

官舎には薩摩の役人が五名、琉球の役人が二名いて、皆五日、七日の交代で三人を見張った。
三人の食事は琉球の料理人が来て料理をした。その料理は飯を除くほか、豚肉、鶏肉、卵、、芋類、豆腐、魚類である。この頃、琉球王から和製の衣服、単衣、帯など新しいもの、および、焼酎一斗を三人に賜った。夏になり、蚊帳二張りを賜った。

前へ次へ

ウエルカムジョン万の会>万次郎資料室>漂巽紀略21