漂巽紀畧 巻之二

漂巽紀畧第二巻は、ハワイの街の風景や、習俗、また、その地に残った筆之丞、重助、五右衛門、寅右衛門のことが語られる。

万次郎が去り、言葉を解することが出来ず、庇護を受けていた四人であるが、一年を過ごすうちに次第に言葉を解しはじめ、やがて、仕事を得て自立を目指す。
係累のいない身軽さからか、寅右衛門はいち早くその地の生活に順応し、大工として身を立てていくことを選び、三兄弟やウィットフィールド船長と距離をおくようになる。

この地の生活に慣れてきた伝蔵らではあったが、帰国を試みる日本の漂流民との出会いにより、彼らも、また、帰国への思いはつのるばかりだがなす術がない。
ここで語られる、異境にさまよう漂流民たちの、互いを思い合う様は胸を打つ。

長い患いの末、重助はとうとう帰らぬ人となった。その死をきっかけに、自立のための開拓を始めた伝蔵たちの前に、ウィットフィールド船長が再びその手をさしのべる。
彼の助力を得て帰国の手はずは整い、喜び勇む伝蔵、五右衛門兄弟に対し、寅右衛門は出港直前に下船し、彼らの別れは決定的となる。

二巻の主人公である伝蔵は、他人の世話になることを潔しとせず、自立への道を模索し、決して仲間を見捨てず、ひたむきに恩に報いようとする。彼の行動は、どことなくユーモラスで、義理堅く、そこに頼もしいリーダーの姿が見ることができる。


伝蔵たちがハワイに留まる間、三組の日本人漂着民との出会いがあった。
一組目は、ハワイに煙管や小銭を残していき、彼らが日本人であることを明らかにしたグループである。
八、九年前の大阪の船であると言うが、大阪船の漂流民が帰郷した記録が見あたらない。ただ、越後の船がハワイに漂着し、択捉経由で帰国を果たしているので、あるいは、その人達かも知れない。

二組目の善助、初太郎は、西宮永住丸の乗組員である。彼らは1844年に長崎に帰郷した。残った水夫のうち四人もその後帰国した。

三組目の藤兵衛、安太郎についてはよくわからない。伝蔵らのために、亡くなった仲間の着物を売ろうとした親切な彼らはいったいどうなったのか。
「陸奥から江戸へ出航し遭難、八人が一年以上漂流し、二名が生き残り、捕鯨船に保護されハワイに来て、フランス船で中国に渡った」という明らかな記述があるのに、それに相当する遭難者を見つけることが出来ない。

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