伝蔵がハワイに残したもの

万次郎がアメリカに旅立ち、帰国するまでのおよそ十年間、ハワイに残った筆之丞、重助、五右衛門、寅右衛門の四人は、どのように暮らしたかについては、漂巽紀畧巻之二に記されている。
しかし、その漂巽紀畧には抜け落ちているできごとがある。

それは、伝蔵がある漁法を初めてハワイに紹介していることだ。


漂洋瑣談(ひょうようさだん)には次のような記述がある

さて、伝蔵たちは日々の暮らしは、それなりに相応しいもので、ある時は遊びに出かけ、ある時は小舟で小魚を釣り、また、ある時は土地の人達と一緒に鰹の漁に出ることもあった。五人、あるいは、八人で乗り組み、三里、五里おきの漁場に出るのである。

釣り竿は日本で使う長竿「汐のかい」を使った。餌は小イワシの生きたのを使い、あるいは、角シヤビキ(水牛の角を使って作った。シヤビキは錫で作られた。オアフにはないものであった。伝蔵らは自らこれを作ったのである)
この長竿で鰹をたくさん釣るのを見て、土民は大いに驚いて賞賛した。
獲物が百匹なら、そのうち五十匹は伝蔵が一人で釣り上げたのである。ある時は、たくさんの獲物を市に持ち出し、自ら売ったこともあったという。

ある時、漁から帰りがけ、ウペナという網がひどく破れて皆が困っている様子なので、伝蔵が、糸口を取って、小口からその破れたところを繕っていくと、みんなはその手速いことに目を奪われ、非常に驚いて、土地の役人をはじめ、人々が集まってきて、伝蔵を取り囲んで見物した。
一時の間に全て繕ろい終わったので、人々は賞賛して、
「ヌイヌイブロケ」
「コケアイコケアイ」
「スイフロケゴケアイ、スイフロケゴケアイ」
「スイロービキ、スイロービキ」

と言って大いに喜んだ
これから後は伝蔵をただ家に置いて、出漁させなかった。その漁の利益は船頭から配分してくれた。

スイフロウ、ヌイヌイブロケとは大きな破れ、ケゴアイとは日の暮れのこと
スイロービキ、スイロービキは、早く仕舞うことが出来たの意味
網が大きく破れていたので、なかなか簡単に繕うことが出来そうになく、日暮れまでもかかるだろうと思っていたところ、思いがけず、優れた編み手をえて、思いの外、早く片が付いたので、うれしいことだ、ということである

このように、伝蔵は自分の得意とする漁業においては、ハワイの漁民たちにその実力を見せつけている。
実際、腕のよい漁師だったのだろう。ハワイでも重宝されている。
角シヤビキはその詳細な形状までは分からないが、角で疑似餌を、錫で篭を作ったのだろう。鰹を釣る大型のサビキであり、現在の仕掛けと大きな差はないように思える。
この時の長竿によるサビキ漁がハワイ定着したかどうかは分からない。しかし、漁民は新しい技術の導入に熱心であるから、是非、現在にも伝わっていてほしいと願うのである


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