筆之丞(伝蔵)、重助、五右衛門、寅右衛門年表

西暦 西暦月日 和暦 和暦月日 筆之丞 年齢 五右衛門 年齢 重助 年齢 寅右衛門 年齢
1804 文化元年 筆之丞誕生 0  
1816 文化13年 12 寅右衛門誕生 0
1817 文化14年 13 重助誕生 0 1
1826 文政9年 22 五右衛門誕生 0 9 10
1841 1/27 天保12年 1/5 宇佐浦出航、29日午後漂流、30日室戸岬沖通過  筆之丞37歳 五右衛門15歳、重助24歳、寅右衛門25歳
2/5 1/14 鳥島漂着 重助は脚を骨折
6/27 5/9 ハウランド号に救助される 143日間を鳥島で過ごした
11/20 10/8 半年の捕鯨船乗船の後、ホノルル入港
12/2 10/20 万次郎ホノルル出港
1842 天保13年 傳蔵と改名
クーケ家に奉公
永住丸善助、初太郎と面会
38 重助を補助する役割で
オアニカウカに奉公
16 オアニカウカに奉公
療養を続ける
25 大工に弟子入り 26
1843 天保14年 藤兵衛、安太郎と面会 39 17 26 27
1845 弘化2年 重助の看護のため
コーラウへ向かう
41 重助の看護のため
コーラウへ向かう
19 重助発症 28 29
1846 1月 弘化3年 コーラウ宅に住む 42 ハリケヤ寺に住む 20 重助死去享年31歳 29 重助の死に立ち会った記録はない 30
2月 開拓地を受領 開拓地を受領
9月 ウィットフィールドの尽力で帰国便に乗船 ウィットフィールドの尽力で帰国便に乗船 帰国の件は、当初寅右衛門に知らされなかったが、伝蔵の取りなしで、一人別の船に乗船することとなった。
出港直前に翻意して下船
12月? ホノルル出港 ホノルル出港
1847 1月 弘化4年 ラルツネ島入港 43 ラルツネ島入港 21 万次郎と再会 31
3月 八丈島上陸失敗 八丈島上陸失敗
4月 蝦夷地に上陸するが帰国は果たせず 蝦夷地に上陸するが帰国は果たせず
10月 ハワイ帰着 万次郎と再会 ハワイ帰着 万次郎と再会
1849 嘉永2年 45 この頃五右衛門結婚? 23 33
1850 8月 嘉永3年 万次郎に帰国の相談を受け受諾秘密裏に行動
紀州寅吉一行と面会、共に帰国を果たそうとするが失敗
万次郎、寅右衛門とオアフ出発
46 万次郎に帰国の相談を受け受諾秘密裏に行動
紀州寅吉一行と面会、共に帰国を果たそうとするが失敗
万次郎、伝蔵とオアフ出発
24 万次郎に帰国を相談されたが拒否 34
1851 2/3 嘉永4年 1/3 琉球、摩文仁上陸取り調べ 47 琉球、摩文仁上陸取り調べ 25 万次郎は上陸の時、寅右衛門に英語で書いた手紙を託しているが、その手紙をうけとったかどうかは不明 35
8/27 8/1 薩摩護送取り調べ 薩摩護送取り調べ
9/27 9/3 長崎護送取り調べ 長崎護送取り調べ
1852 8/10 嘉永5年 6/25 長崎出発 48 長崎出発 26 1852年、永久丸、岩吉らとハワイで面会。通訳として雇われている 36
8/25 7/11 高知着取り調べ 高知着取り調べ
9月
11/2 9/21 宇佐着 宇佐着
漁に出ないこと、異国のことをむやみに話さないこと、国を出ないことを言い渡され、生涯一人扶持をもらった 漁に出ないこと、異国のことをむやみに話さないこと、国を出ないことを言い渡され、生涯一人扶持をもらった 没年不詳
1860年、咸臨丸がホノルルに寄港したおりに、姿を見せていない。すでに没していたかも知れないが、詳細は不明
1859 不明 安政6年 55 五右衛門死去 33
1865 1/21 元治元年 12/24 伝蔵死去 61

1898年 明治31年 万次郎死去 71歳

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